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2012.04.26
水祭りの過ごし方3 シットゥエ
ミンガラーバー。
前回からの続きの記事です。
そうして、シットゥエにたどりついた私たちでした。
実は、私はシットゥエに来たのは4回目です。
大学生のころ、「国際ボランティアサークルELAN」という、東京外語大のビルマ語課が中心となって活動しているサークルに所属していて、シットゥエにある孤児院の支援を行っていました。
夏休みや春休みなどの長期休みに、ELANの皆でミャンマー旅行に出かけます。
行きは、日本の方から寄付していただいた子供服や粉ミルクなどをトランクいっぱいに詰め込んで持って行き、孤児院に寄付します。
帰りは、空いたトランクのスペースいっぱいにミャンマーのお土産品を詰め込んで持ちかえり、外語祭(外語大の文化祭)でお店を開いて販売し、寄付金を集めます。
そしてまた孤児院を訪問する際に、寄付金も持っていって渡す・・・という活動をしていました。
ELANがあったからこそ、ミャンマーをとっても好きになったし、国際協力にも興味を持つようになったのです。
残念ながら、今はシットゥエの孤児院はなくなってしまったということですが、学生時代にちょくちょく来たシットゥエは、私にとっては大変思い出深いところです。
うーん。5年ぶりにシットゥエに来てみてびっくり!
こんなに言葉が通じなかったっけ・・・?と驚きました。
私はだいぶシャン州なまりの発音になれているせいか、ヤカインなまりのミャンマー語がぜんぜん聞き取れない!
早口だし、なんか巻いてるし、音が奥まっているし・・・。
学生時代、よく聞き取れていたなーとビックリしました。
町も、ヤカイン州の州都とは言え、タウンジーと比べたら田舎も田舎。
水かけも夕方だったのでほとんど終わっていて平和でした。
車の数もちょっとしかなく、サイカーばっかり。
しかも、サイカーはボロボロで乗り心地が悪い!

植生がシャン州とはぜんぜん違うのも印象深い点です。
ヤシの木がたくさん生えていて、南国~というイメージがします。
人の顔もぜんぜん違って、バングラディッシュ系の人がいっぱいいて、中国系の人は見当たりません。
ヤカイン人も肌の色が黒いので、日焼けしがちな私たちが白く見える・・・。
昔と違って、新しいホテルやこぎれいなレストランがいくつかできていました。
海辺の道が大変きれいなコンクリートの遊歩道として整備されており、夜は友達同士で涼みに来たり、カップル同士でいちゃつきに来たりしていました。

私たちは遊歩道を楽しく散歩しているうちにホテルへの道がわからなくなり、2時間くらいうろうろと歩きまわる羽目に・・・。
夜9時を回り、暗くて危ないなぁと思っていたら、自転車のお兄ちゃんがホテルまで付き添ってくれました。
「申し訳ないし、自分でいけるから大丈夫だよ」と言ったのですが、「皆が水祭りで浮かれていて、失礼な発言を外国人相手にしていて、大変申し訳ないから送る」と言って、静かにホテルに着くまで送ってくれました。
とっても良いお兄さんだった!(最初は怪しいと思ってごめんなさい)
タウンジーでは町にとけこんでいるのですが、こちらでは、肌の色が違うせいか、外国人が比較的少ない土地であるせいか、いつもよりも目だってしまうようです。
ぜんぜん知らない外国人に対して、下心もなく優しくしてくれるのは、やっぱりミャンマーの田舎のステキなところだなぁ、と改めて感じました。
(もし一人だったら、送ってくれるというのはやっぱり怖いですけどね。)
明日は、いよいよ最終目的地のミャッウーへ出発です!
つづく。
前回からの続きの記事です。
そうして、シットゥエにたどりついた私たちでした。
実は、私はシットゥエに来たのは4回目です。
大学生のころ、「国際ボランティアサークルELAN」という、東京外語大のビルマ語課が中心となって活動しているサークルに所属していて、シットゥエにある孤児院の支援を行っていました。
夏休みや春休みなどの長期休みに、ELANの皆でミャンマー旅行に出かけます。
行きは、日本の方から寄付していただいた子供服や粉ミルクなどをトランクいっぱいに詰め込んで持って行き、孤児院に寄付します。
帰りは、空いたトランクのスペースいっぱいにミャンマーのお土産品を詰め込んで持ちかえり、外語祭(外語大の文化祭)でお店を開いて販売し、寄付金を集めます。
そしてまた孤児院を訪問する際に、寄付金も持っていって渡す・・・という活動をしていました。
ELANがあったからこそ、ミャンマーをとっても好きになったし、国際協力にも興味を持つようになったのです。
残念ながら、今はシットゥエの孤児院はなくなってしまったということですが、学生時代にちょくちょく来たシットゥエは、私にとっては大変思い出深いところです。
うーん。5年ぶりにシットゥエに来てみてびっくり!
こんなに言葉が通じなかったっけ・・・?と驚きました。
私はだいぶシャン州なまりの発音になれているせいか、ヤカインなまりのミャンマー語がぜんぜん聞き取れない!
早口だし、なんか巻いてるし、音が奥まっているし・・・。
学生時代、よく聞き取れていたなーとビックリしました。
町も、ヤカイン州の州都とは言え、タウンジーと比べたら田舎も田舎。
水かけも夕方だったのでほとんど終わっていて平和でした。
車の数もちょっとしかなく、サイカーばっかり。
しかも、サイカーはボロボロで乗り心地が悪い!

植生がシャン州とはぜんぜん違うのも印象深い点です。
ヤシの木がたくさん生えていて、南国~というイメージがします。
人の顔もぜんぜん違って、バングラディッシュ系の人がいっぱいいて、中国系の人は見当たりません。
ヤカイン人も肌の色が黒いので、日焼けしがちな私たちが白く見える・・・。
昔と違って、新しいホテルやこぎれいなレストランがいくつかできていました。
海辺の道が大変きれいなコンクリートの遊歩道として整備されており、夜は友達同士で涼みに来たり、カップル同士でいちゃつきに来たりしていました。

私たちは遊歩道を楽しく散歩しているうちにホテルへの道がわからなくなり、2時間くらいうろうろと歩きまわる羽目に・・・。
夜9時を回り、暗くて危ないなぁと思っていたら、自転車のお兄ちゃんがホテルまで付き添ってくれました。
「申し訳ないし、自分でいけるから大丈夫だよ」と言ったのですが、「皆が水祭りで浮かれていて、失礼な発言を外国人相手にしていて、大変申し訳ないから送る」と言って、静かにホテルに着くまで送ってくれました。
とっても良いお兄さんだった!(最初は怪しいと思ってごめんなさい)
タウンジーでは町にとけこんでいるのですが、こちらでは、肌の色が違うせいか、外国人が比較的少ない土地であるせいか、いつもよりも目だってしまうようです。
ぜんぜん知らない外国人に対して、下心もなく優しくしてくれるのは、やっぱりミャンマーの田舎のステキなところだなぁ、と改めて感じました。
(もし一人だったら、送ってくれるというのはやっぱり怖いですけどね。)
明日は、いよいよ最終目的地のミャッウーへ出発です!
つづく。
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2012/04/26 Thu 20:56 [ Edit ]
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まとめwoネタ速suru 2012/04/26 Thu 20:12
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